わにの日々-海が好き!編

NY、DC、テキサス、コロラドを経て、大都会ロサンゼルスから、その郊外の海辺の街、レドンドビーチに移り住んだ、ぐうたら中年主婦・わにのトホホな日々

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「夕凪の街 桜の国」 映画

 今日は、頬の腫れは殆ど引きました。が、かわりに瞼が腫れてパフパフです…と、いうのも、日本からお友達が送ってくれた、映画「夕凪の街 桜の国」を観たから。原作の漫画本は、意外とサラリと読めてしまったので、映画も大丈夫だろうと思ったら、これがもう、涙、涙の大洪水映画でした。映画を見終わった後、もう一度、漫画を読み返したら、また泣けた。もう、泣きすぎて頭が痛いです。原爆は必要だった、などというアメリカ人に、この映画を見せたいって気もするけど、そういう連中に見せても何も判りはしないから勿体無いって、気もする。

 映画では、物語の前半の主人公、皆実の、「死ねばいいと誰かに思われたこと、思われたのに生き延びた」という独白、そして、「嬉しい?十年たったけど、原爆を落とした人はわたしを見て、『やった!また一人殺せた!』と、ちゃんと、思うてくれとる?」という死の床で呟く言葉が、いっそう、印象的に伝わってきます。



 原爆、そして無差別空襲、大規模テロ、民族構想等々、それらが、不特定多数に対する「死ねばいい」という意思の実現であるという発想は、目から鱗であり、そして、一度、その事に気付いてしまった時の衝撃。敵国の人間であるから、と、見ず知らずの、何も恨みも、会った事もない、どこか遠くの誰かが、自分のことを、「死ねばいい」と、思っている。自分たちが何をしたというのか?よく聞かれる被害者の言葉ですが、何の自覚もないままに、「死ねばいい」と、思われている。恐ろしい。「ラピュタ」というアニメ映画で、恐ろしい武器を手に入れた悪役が、地上で逃げ惑う人々を「まるでゴミのようだ」と笑う場面がありますが、正にあのような感じなのか、ならば、「死ねばいい」どころか、被害者は最初から無機質なゴミでしかないのか…背筋が凍ります。

 そして、それでも生き残ってしまえば… 被爆二世である私が、たとえば、原爆症の典型的な症状の一つであるという白血病に罹って死んだら、アメリカ人は「また一人殺せた!」って思う?と、アメリカ人である夫や息子たちを見て、ふと思ったりして。原爆のことを言われると、日本はさっさと降伏すればいいのに、そうしなかったから。こうやってケリをつけねばならなかったのだ。早く降伏しなかった日本自身に責任がある、という人がいます。さっさと諦めないから、ベトナムで泥沼化した奴等が、どの口でそれを言う?!って、思っちゃいますが、こういう連中には、もし日本がさっさと降伏してたら、今の日本はないだろさ、なんて、言うだけ無駄。説得の余地はありません。

 現代も、アフガニスタンで、正確さに欠ける無人戦闘機の誤爆で市民が攻撃されたというニュースが絶えません。民族間での殺戮、宗教戦争、ガザを巡る抗争、ギャング間の争い…個人にではなく、団体に対する「死ねばいい」は、未だ、地球上のあちこちで、本当になっている。死ねばいい、と、思われた者の子である私は、そして、「死ねばいい」と、9-11テロ攻撃を受けたアメリカ人は、今、何ができるのか…
  1. 2009/10/22(木) 22:59:29|
  2. 本と映画
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

Letters from Hiroshima??

 実際に広島を訪れたことのある人や、アメリカNo.1に取り付かれた、ニュースはFOXはニュースとは認めない、って人なら、これを見て、原爆とはこれほどに悲惨なものだったのかと判ってくれそうです。オバマ大統領が非核を目指そうと高らかに世界に訴えた今、ぜひとも海外にも紹介して欲しい作品なので、どっか買い取ってくれませんかね?あんまりメジャーじゃない配給会社なら、履歴書送って、「訳させてぇ」と直談判に出たいものです。
 でも正直、クリント・イーストウッドの映画化も観たいですが…

この映画、私たちの世代にはお馴染のマチャアキが、いい味出してました知ってる役者さんが出てると、ちょっと嬉しいv
  1. 2009/10/27(火) 21:04:26 |
  2. URL |
  3. わに #-
  4. [ 編集]

重たい内容ですが、よく考えさせられますね。僕自身も、個人なり、グループなりに対して、"はよう死なんかのう?" と思ったこと何度もあります。 本当に "死"を願っているわけじゃなく、関係するのがいやになってるだけだったりするのですが、それにしてもよく考えたら、とんでもなく失礼で冷酷な考えですね。ちょっと頭を切り替える努力します。

こういう映画は、ワイフと見てみたいですが、英語字幕版とかないですかね? そういうの結構必需性が、特に南カリフォルニアではありそうですね。 わにさんにはチャンスかも、とふと思いました。 それともクリントイーストウッドがハリウッド盤作るまで待たんとだめでしょうか?
  1. 2009/10/25(日) 21:31:32 |
  2. URL |
  3. Honda #fIoVb3AI
  4. [ 編集]

人間の祖先は、森の静かな住民だったハズなのに、どうして、こうなってしまったのでしょう。相手を同じ、家族もあれば生活もある、感情もある人間だと認知すれば、このような行為は無理だと思うのです。異教徒は、他のギャンググループは、モノであって、人間ではないと、心のどこかで割り切っていないと、顔も見えない相手を大量殺戮は出来ないと思うのですが…私にはわかりません。

>当たり前のことを当たり前に対処できる能力とコミュニケーション能力
連続殺人犯などの脳を研究すると、通常では機能するはずの部分が欠けているケースが多いそうですが、逆に、この部分を「鍛える」というか、「育てる」教育が生み出されるべきなのかも。
 ムカつく、という感情は、誰にでもあると思います。ただ、その感情が、瞬発的、衝動的に、行動に結びつくか付かないか、が、分かれ目ではないでしょうか。ちょっとしたきっかけでの暴力事件は、自己防衛本能を超えた、無意識なままでの衝動的行動によって引起される事が殆どだと思います。この衝動的行動に結びつくimpulseを抑制する訓練が、子供の頃から、自然に実につくような教育が必要かもしれません。禅、武道で平常心を養うとは、こういうことだったのかも??と、ふと思いました。

>書くのハイペース
暇人だからぁ~w
  1. 2009/10/25(日) 14:06:48 |
  2. URL |
  3. わに #-
  4. [ 編集]

人とは何故にこうも凄惨で、悲しい結果を招くような行為ができるようにまで発達してしまったのでしょうか?
又は発達の過程で、まだまだ未熟なのでしょうか?

心ある人が何をどう説いても止まないなのは何故なのか?

個人では判ってはいても、それが集団になればなるほど、麻痺してしまうのか?
生存本能、宗教的価値観の相違、利害、etc.
理由は様々あるかもしれないが、軍事行動や戦争という行為はあまりにも悲惨すぎる。

言い尽くされてはいるけれど、個人レベルでの感情のコントロールや冷静なる判断ができるようにしないといけないのではないのかとも。無暗に殺生をしてはいけない。満員電車でのちょっとしたきっかけでの暴力事件。同様に車を運転している時も。結局そこに回帰するのでは......。

高度の知的要求に耐えられる思考力なんていらない。
ただいかなる時でも、当たり前のことを当たり前に対処できる能力とコミュニケーション能力だけは育成するべきなのだとも思うのです。

そのseedsは個人間のゴタゴタや恨みつらみ、はたまた許せない心に端を発していように思えてならないのですが......。

わにさん、どうでしょう?


それにしても、わにさん!書くのハイペース!
hih

  1. 2009/10/24(土) 23:21:11 |
  2. URL |
  3. Demee #-
  4. [ 編集]

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