わにの日々-海が好き!編

NY、DC、テキサス、コロラドを経て、大都会ロサンゼルスから、その郊外の海辺の街、レドンドビーチに移り住んだ、ぐうたら中年主婦・わにのトホホな日々

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20年前の昨日

 ベルリンの壁崩壊から20年が経ったそうです。今朝の新聞の一面を大きく飾る記念式典の花火に彩られたブランデンブルグ門の写真に、あれは、もう20年も前だったのかと驚愕と同時に、オノレの年を省みてがっくり(TT)

一見してハリウッドボウルのコンサートかと思ってしまった私は間抜

 テレビに映し出される、若者達が壁によじ登り、ハンマーで壁を打ち崩していく光景は、まるでドキュメンタリー番組で紹介される、恒例のお祭りの騒ぎの様子を見るようで、これが歴史的瞬間であるという熱狂は、とても遠く、妙に現実味に欠けた感覚だった。20年前の私のドイツ観は、まずは漫画「エロイカより愛をこめて」のエーベルバッハ少佐の国であり、それがまた、この国の現実味を薄めていたのかも。東西均衡の危うい最前線であるベルリンの壁も、無意識のうちに、どこか異世界の事、漫画の中の出来事と認知していたような気がします。それ程に、同じ敗戦国でありながらも、分裂を免れ、冷戦の緊張を直接に感じることなしに成人できた日本人の自分は、幸運であったのだ、と、今は思いますが。ベトナム戦争、学生運動、戦争に反対してデモした世代までは、平和への危機感を抱いていたのではないかと思います。でも、その後に続く、日本の高度成長期に生まれ育った私の世代は、平和ボケ第一世代だったのかもしれません。

 壁崩壊の翌夏、国連本部でインターンをした際、毎日ご飯を食べながら、一緒に常任理事国への悪態ついてたベルリン出身のドイツ人留学生が、何かの会議で、「私が留学のために国を出た時、私の部屋の壁からはベルリンの壁が見えた。私が留学を終え、国に帰るときには、もう西ドイツという国はなく、私の部屋から見えるのは、いつも、あの向こうには何があるだろうかと思いを巡らせていた、今や同じ国の、同じ街の東側の光景だろう」とスピーチしました。これが実に感動的で、未だそれをドイツ語訛った彼の英語で脳内再生できるほど印象深かった…が!これにはオチがあり、そのスピーチ直後、感極まっている私に、当の本人が、「ウソに決まってっだろ。演出だよ、演出。俺んち郊外なのに、壁なんぞ見えるわけないじゃねーか、バカ!」と、しゃーしゃーと言ったのでした…orz (騙された悔しさゆえに未だ覚えてるのかも)

 そういえば、あの夏に流行っていたのは、New Radicalsというバンドの、「You Get What You Give」って曲でした。あの頃は、歌詞は殆ど聞き取れなかったけど、思い出してYouTubeでクリップを探して聴いてみたら、

Health insurance, rip-off lying
FDA, big bankers buying

なんて、歌ってた。20年経っても、何も変わっていないものもある…
  1. 2009/11/10(火) 21:14:20|
  2. ニュースねた
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

>ミミさん
それ、見たかったわ!>ベルリンの壁
釈迦の骨とか、キリストの骨って、一体どれだけ存在するねん?!ってほど、そこら中にありませんか?釈迦の寝仏は実は実物大で、キリストはステゴドン並みのサイズやったんか?って思うわ。

>いつかイタリアの地で...
ええ、いつか、きっとイタリアの地で...(こそっ)

>Hondaさん
私が鮮明に覚えているのは、サタデーナイトライブで、レーガンに扮したコメディアンが、「みなブッシュを褒めてるけど、元はと言えば、このオレが仕掛けたんだ、ミスター・ゴルバチョフ、壁を倒せ、って。いいか?オレだよ、オレ!」というコントです...orz(←なんか、自分で書いてて情けなくなった)
  1. 2009/11/16(月) 15:39:21 |
  2. URL |
  3. わに #-
  4. [ 編集]

ベルリンの壁

当時は、外交、政治などのことはまったく無頓着だったので、歴史的な意味とかまるでわかっていませんでした。ただ単に "おお、レーガンがやりようったのう” というのと、ピンクフロイドが、ベルリンでいろいろなスペシャルゲストを招いて ”The Wall" をライブ演奏して結構大ヒットしたことぐらいしか覚えておりません。情けなや。それでも壁崩壊を記念してのコンサートとはいえ、レコードリリースから何年もたっていたのに、不気味なぐらい relevant だったのはいまだに印象に残っています。
  1. 2009/11/16(月) 09:10:15 |
  2. URL |
  3. Honda #fIoVb3AI
  4. [ 編集]

わにさん、
いつかイタリアの地で・・・・。(これは静かに)

ミミさん!
最高e-259 (大爆笑)

hih
  1. 2009/11/15(日) 08:13:44 |
  2. URL |
  3. Demee #-
  4. [ 編集]

え。ディズニーランドじゃない?

当時の大型書店でベルリンの壁の破片を例のモデル付き大人の科学みたいな装丁で、売っていたのを思い出しました。
釈迦の骨よりは少し本当っぽかったけど、「けっ」と通り過ぎました。今思うと、ネタ本として買っておけばよかったなぁと悔やまれます。
  1. 2009/11/14(土) 23:27:57 |
  2. URL |
  3. ミミ #6lg5qE/s
  4. [ 編集]

同じトピックなのは、Demeeさんの記事に感化されて、しみじみ、壁崩壊直後のころを思い出してみたんからなんです~

私の当時のドイツの生情報は、上に書いたインターン仲間の言葉だけでしたが、彼曰く、自分が留学のためドイツを後にした壁崩壊数ヶ月前には既に、壁はそろそろなくなるね、って雰囲気が色濃く、一部は騒いでたけど、大部分は覚めていて、TVでその情景を見たときも、「あー、やっとかぁ」って感じで、深く感動とかなかったなぁ、と、言ってました。そんなモンかなぁ?と、思ったのですが、南部でも冷静だったのですね。

 イタリア、いいですねぇ!10代以来のロレンツォ・メディチのファンの私には憧れの地です。死ぬまでに、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノを見たいです。
  1. 2009/11/14(土) 21:49:54 |
  2. URL |
  3. わに #-
  4. [ 編集]

うぅ~、同トピック!いいですネェ!

拍手お礼コメントににも記載させていただき、繰り返しになってしまいますが。

当時私は、ケルンに10日程滞在して、後は南部の中世の街並みがそのまま残る、学生町やその近辺で残りの日数をスペントしました。
もはやベルリンは遙か北方へと遠ざかってしまったのです。ましてやその時が初めてのドイツであり、仕事もてんてこ舞いでした。
ドイツの歩行者用の信号があまりにも小さく、そして分かりずらく、赤なのか青なのか分からずに渡ろうとしたら、ベンツのトラックの運ちゃんに思いっきりドイツ語で何かを叫ばれ、まぁ何を言われたのか分からなかったので、腹も立ちませんでしたが、さしずめ「何晒してんねん、このどアホ!」とゆうような内容だったのでしょう。挙句の果てに、後ろからきたオープンカーに集団で乗った学生達には、狂喜乱舞を交えて、罵られたような。とにかく街の信号も判読できない程のめまぐるしい毎日だった印象しかありません。

そして不思議なことにベルリン周辺ではそろそろなんらかの兆しで色々とざわざついてたようですが、特に西側の南部ともなると、比較的冷静というか何とも普段の生活が淡々と繰り広げられていたような印象も受けたのです。
以降、そのヨーロッパの歴史的事実に触れよう触れようと思いながらも、どうしてもパリやミラノの文化的快楽的方向へと足が向いてしまったのが事実です。

いつだったか、できることならばベルリン、ポツダム、ライプチヒ、マイセン、ドレスデン、カールマルクスシュタット、最後に叶うならポーランドのアウシュビッツのルートを行きたいと思っておりましたが、それも叶わず仕舞いでした。

あの時本当にあの場面を身をもって体感しておけば良かったと思っている次第です。

そして最近はというと、またもやイタリアの素晴らしさに、グイグイと引き寄せられているのを感じるのです。ドイツ中心に動いていましたが、ドイツオペラを聴く気にはなれず、ますますイタリアへの羨望が高まるばかりなのです。人生の後半は願わくは、イタリアで終えてもいい!!!

hih
  1. 2009/11/13(金) 08:22:39 |
  2. URL |
  3. Demee #-
  4. [ 編集]

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