わにの日々-海が好き!編

NY、DC、テキサス、コロラドを経て、大都会ロサンゼルスから、その郊外の海辺の街、レドンドビーチに移り住んだ、ぐうたら中年主婦・わにのトホホな日々

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Nostalgia: 昭和30年代への憧憬

 今日は風が強くて寒かった~!今、犬の散歩から帰ってきて、こたつに潜り込んだトコ。犬も早速、コタツ布団の上で丸くなっています。中は、城主の黒姫様が仕切っているので、入ったら「シャー!フー!」で追い出されるのだw 上空でも強風らしく、夜空は冷え冷えと冴えきっていました。この頃は、火星の方向に向かって、「はやぶさー、がんばれー!」と、応援するのが、毎夜の習慣。


 ここ数日は毎晩、貸していただいた横溝正史の本を読み耽って、夜更かしです。読書の春。金田一耕助は、昭和50年に渡米して、以来、行方は知れないそうですが、彼の活躍する作品は、昭和30年代前半を舞台としたものが多く、横溝作品の妖しい雰囲気に、格好の背景を提供しています。昭和30年代といえば、20年前に仲の良かった上司(当時40代)が、カラーTVに新幹線、月着陸にオリンピック… 毎日のように新しいことが紹介されて、うきうきしていた頃、と、評した時代です。それ以来、「昭和30年代」には、ほのかな憧れがあるのですが、横溝作品に描かれる、昭和30年代前半… 戦後の混乱と空しさを残したままに、来る繁栄えの兆しを見せ始めた時代… への憧憬が深まります。自分はまだ生まれていないので(だから、そこまでトシくってないって)、一層、未知の時代に対しての妄想が広がって、美化してるのかも知れませんが。

 それでも、幼い頃を思い出すと、まだ戦後が残っていたと思うのですね(やっぱトシかな…orz)。大阪・梅田の地下街で義肢を外して物乞いをしている白衣の傷痍軍人さん達は怖かった。あの頃の梅田周辺には、未だ、廃墟やドヤ街のような集落、闇市だった怪しげな場所が残っており、電車の中から、ドキドキしながら眺めたもの。近所の川辺の掘っ立て小屋に住むルンペンさんは復員軍人だという噂があり、高い塀の向こうの不気味な雑木林は、終戦直後に集団自決のあった場所だとまことしやかに囁かれ、首吊り山と呼ばれていた。そんな名残は、今にして思えば、あっという間に消え去って行き、私が高校生になったときには既に、猥雑としていた梅田の跡地には近代的な高層ビルが建ち並び、川辺にはこざっぱりと自転車道が整備され、首吊り山は建売の分譲住宅に変り身した。今にして思えば、ほんの10年ほどで街は変容を遂げてしまったのでした。


 今日の一枚は、スーパーマーケット・チェーンのTrader Joe'sで、只今売り出し中の水仙。レジ前で5本1束$1.29の水仙が山積みにされており、みんな、ついつい買っちゃうみたい。私も右にならえで、トレジョー行くと、ついカゴに入れる。年間を通して温暖な、ここ南カリフォルニアは、今ひとつ季節感に欠けて、年中、極彩色の花が咲き、木にはレモンやオレンジがたわわなのですが、それでも水仙の鮮やかな黄色と香りに、人は「春」を感じ、惹かれてしまうのでしょう。我が家のキッチンの片隅にも、鮮やかな春です。
  
  1. 2010/03/09(火) 22:51:56|
  2. 未分類
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  4. | コメント:12
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コメント

アラファイブですな

アラファイブが世相をボヤいたり、噛み付いたりする場でした。
  1. 2010/03/12(金) 22:45:37 |
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  3. わに #-
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Hondaさん

いやぁ、そのおっちゃん、さぞや嬉しかったでしょうね。私はNYCでの極貧時代に、ホームレスのおっさんとコーヒー大を分けあったことがありますが…(小を買うより、大を折半で買って、半分づつの方が安いから)
 実家の街の川沿いには、ブルーテントが立ち並んでいますが、どうにも浮かばれないという訳でもないのに、自ら進んで世捨て人になっている人が多いんだそうです。人生それぞれということでしょうか。

 環状線からの光景は、そういえば、未だに戦後風味が感じられるところもありますね。ある意味、凄いことかも…
  1. 2010/03/12(金) 22:44:22 |
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  3. わに #-
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今回の件で、ここは45歳から50歳くらいまでのおっさん、おばはんの集いの場であることがわかりました。
  1. 2010/03/12(金) 15:14:42 |
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  3. 宇宙ハンター55 #-
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昭和フレイヴァー

わにさんとは同年代なのですが、梅田は高校生になるまでいった事が無かったので、「おしゃれなところ」という印象があります。その点、天王寺から京橋にかけての地域は確実にそういう雰囲気が少なくとも昭和60年ぐらいまで残っておりました。環状線の駅から見る限りではいまだにあまり変わっているようでもなく、帰国の際もお嫁さんに見せたい光景でも無いなと何となく避けておりました。ローカル話でございますが、前回帰った時は門真から万博公園にかけての地域がむちゃくちゃ綺麗になっていたのにびっくりしました。ルンペンさん達は何処に行ったのでしょう? 昔の浮浪者は頑張っても浮かばれないような人達でそれなりに純情な人達が多かったような記憶があります。駅で寝てるおっちゃんにかけうどんをおごってあげて家の母親に叱られた経験がありますが、おっちゃんの嬉しそうな顔は子供心にもインパクトがありました。最近のホームレス系の方達はちょっとひねくれた感じがしますが、これは僕が純情さを失ったことかもしれません。
  1. 2010/03/12(金) 07:53:14 |
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  3. Honda #fIoVb3AI
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私はN子さんと3つしか違いませんよ~

 大阪、梅田のJR大阪駅周辺には、今でも、近代都市と高層ビルの間に、ふっと昭和の面影をそのまま残した街並みが現れたりします。大阪駅の北側などは、開発され始めたのは、ついここ10年ほどのこと。東京よりも、ずっと後まで戦後を色濃く残していたかも知れませんね。
  1. 2010/03/11(木) 21:34:42 |
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  3. わに #-
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ウサギは何歳なのかよくわかりません。

ウサギだと言われても、離れ過ぎていてよくわかりません。母親がウサギ年ではあるけど。

しかし、大阪は、長いこと昭和博物館若しくは戦後博物館だったのですね。

「白衣の傷痍軍人さん達」のいた頃の新宿は、基本的に駅の東側のことで、三越、伊勢丹が覇を競い(どうしてその2つが合併してしまったのだ!?)、今は無きコマ劇場などもありました。

西口はと言うと、広大な淀橋浄水場が広がっているのでした。そこに「超高層ビル」が建てられ、地名も「淀橋」から「西新宿」に変えられてしまって、もう完全に、「白衣の傷痍軍人さん達」のいる場所は無くなったのでしょう。

大阪が昭和博物館若しくは戦後博物館でなくなったのは、「淀橋」の名を唯一引き継ぐ、新宿西口駅の前のヨドバシカメラが梅田にできた時なのでしょうか。
  1. 2010/03/11(木) 08:20:11 |
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  3. Miyata Haruo #-
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Prof. Miyata

いくらなんでも、15際も離れてませんよ~!(私は兎年です)
でも、大阪の方が、東京より「戦後」を長く引きずっていたようですね。

一つ下にも書きましたが、神社の参道には、平成の時代になっても何故か「傷痍軍人」さんがいましたからね…
ベトナムにでも行ったのか??
  1. 2010/03/10(水) 20:50:36 |
  2. URL |
  3. わに #-
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どすこさん

今にして思えば、どう見ても歳の合わない「傷痍軍人」さんなんかもいましたよね。
ウチの父でも、終戦時にはまだ国民学校の生徒だったのに、その父よか絶対若そうな人とかw
これぞ年齢詐欺ww

 神社の参道では、平成に入ってもまだ「傷痍軍人」さんが座ってました。
そこでは、傷痍軍人より、虚無僧の方が怖かった。
  1. 2010/03/10(水) 18:57:59 |
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  3. わに #-
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宇宙ハンター55さん

あの猥雑さが空想をかきたてて、まさに横溝正史の作品のような世界を勝手に妄想してはドキドキしていました。三宮近辺にも、高架下の住宅などがあり、見ちゃいけないような、でもつい覗いてしまうような…

思えば、星飛雄馬のお父さん、卓袱台返しの一徹氏は復員軍人だったし、虎の穴に引き取られたタイガーマスクこと伊達直人は、戦災孤児だったはず。戦後は、まだまだ、そこにありました。
  1. 2010/03/10(水) 18:54:45 |
  2. URL |
  3. わに #-
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セピア色の風景は

「梅田の地下街で義肢を外して物乞いをしている白衣の傷痍軍人さん達は怖かった。」とは、新宿の白衣の傷痍軍人さんは怖かったという経験と通じるのですが、僕とは年が15歳以上違っていたはず。大阪にはまだそんなものが残っていた??

「未だ、廃墟やドヤ街のような集落、闇市だった怪しげな場所」、「川辺の掘っ立に住むルンペンさんは復員軍人だという噂」、「不気味な雑木林は、終戦直後に集団自決のあった場所だとまことしやかに囁かれ、首吊り山と呼ばれていた。」などというのに至っては、僕だって知りません。少なくとも東京では聞かなかった。

もしかして、よくあることだけど、年齢を20歳以上偽っているのでは?? しかし、見かけからすると15歳以上年下であることは間違いない。小柄だと若く見えるにしても。しかし、子供さんたちの年齢と合わない。確かに大きなお腹をしている頃に会ったし、本当に自分で生んで子供だと思うし。
  1. 2010/03/10(水) 07:33:16 |
  2. URL |
  3. Miyata Haruo #-
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まさに、その30年代ですわ。私

そうそう、傷痍軍人さんは、子供心に怖かったです。
「偉い人なん?」て聞いたら、母から「偽者も居る」って言われてから、皆偽者に見えたあの頃 (-_-;)
  1. 2010/03/10(水) 06:16:44 |
  2. URL |
  3. どすこ #G2f.Jh/s
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同世代なので、小さいときの梅田の情景は同じような認識ですね。

今のヒルトンホテルの辺りが闇市があったところで、当時、ごちゃごちゃしたところでした。

父が働いていたカメラ屋がそこにあり、隣が木造2階建ての旭屋書店の本店でした。

そこを電車の中からドキドキしながら見ていた女の子がいたんですな。

私はそこから国鉄大阪駅に入ってくる電車を見てました。
  1. 2010/03/10(水) 05:16:18 |
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  3. 宇宙ハンター55 #-
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