わにの日々-海が好き!編

NY、DC、テキサス、コロラドを経て、大都会ロサンゼルスから、その郊外の海辺の街、レドンドビーチに移り住んだ、ぐうたら中年主婦・わにのトホホな日々

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ハートマウンテン日系人収容所跡にて

以下は、後日、帰宅後に日付を遡って書いたものです。

 ファミリー・リユニオン二日目。今日は子供たちが順番にお馬に乗せてもらう予定で、息子達も朝からワクワク。昨日と同じく、午前中はホテルのプールで従兄弟やはとこ達とはしゃぎ、昼食後にリッチおじさんの農場へ。実は、この家の裏庭の納屋は、元々は1942年から45年の間、日系人強制収容所で使われていた生活用バラックだったのです。終戦後、収容所は解体され、バラックは周辺住民に無料で提供されたのだとか。だから、この近辺の家には皆、同じような納屋がある、と。中は天井もなく、木材が乾かないうちに慌てて建てたので、板が縮んで隙間だらけ。屋根はトタンで、晴れた日にはさぞや暑かったでしょうし、冬にはすきま風が吹き込み底冷えしたでしょう。

 朝のうちはカンカン照りで暑かったのに、山の天気は変わりやすいとの言葉通り、午後になると灰色の雲が流れてきて、空模様はかなり不気味な方向へ。遂に小雨が降りだして、皆で屋内に避難したところで、姑が妹の一人と一緒に、ここ数年掛けて調べたミラー家のルーツについての発表です。彼女達によると、1650年代に最初にアメリカにやってきたミラー家の祖先はスコットランド出身だそう。最初の一族がペンシルバニア州に農場を開いた後、ミラー家の祖先の系統は西に向かい、その中でカナダに行った一派もあり、今の一族があるんだそうだ。アメリカ人は、こういったルーツ探しが大好きで、家系図作りは人気のあるホビーです。

 一方、何代遡っても東方の島国に住んでいた祖先を持つわに(養子に入った祖父の実家は九州だけど)は、それぞれにお喋りを楽しむ親族たちを横目に、一人で日系人収容所跡の見学へ向かったのでした。雨は相変わらず降り続き、風も吹いてきたけど、この機を逃したら後がない!収容所跡には、この収容所から志願し、米国人として第二次世界大戦を戦った750名を超える方々の名前と、星条旗を揚げるための旗竿が再現され、その周辺に収容所生活の様子を説明するパネルと遊歩道が設えられていますが、実際の生活用バラックと煙突の名残は、下の写真のように放置同然です。

 こんな辺鄙な場所にある小さなメモリアル、他に訪れる人もなく…と、思ったら、トヨタのミニバンが停まり、初老のアジア人男性が降りてきました。挨拶すると、この紳士は急に「私は此処に住んでいたのですよ」と!キクカワさんと名乗ったこの紳士は、自分は殆ど何も憶えていないけど、此処での暮らしは辛いものだったと母がいつも言っていましたね、と。もっとお話を聞きたかったのですが、砂混じりの強風に混じって大粒の雨が降り始め、慌てて互いの車に逃げ帰ったのでした。残念でしたが、むしろ、この砂粒が痛い強い風と、雹混じりの雨が、ここでの暮らしの厳しさを垣間見せてくれたように思いました。


これがミラー家の裏庭にあった、元収容所バラックの納屋


再現された日系人軍人を称える記念碑と旗竿


すっかり打ち捨てられた収容所の建物


私は此処に住んでいたんです、と仰るMr.Kikukawa



 ところが、その突然の嵐も、素晴ら区の後には嘘のように収まり、雨の名残もあっという間に乾いてしまったような晴天に。子供たちは馬に乗せてもらい、記念撮影をしたあとは、バーベキュー。夜は、ほとんどのメンバーがコーディー名物のロデオ見物へ。私は、洗濯をするためにホテルに戻りました。ロデオ、コロラドで十分見たし。
 
ミラー家一族郎党写真などは折りたたみに。物好き興味ある方はどうぞ。



他の夫婦は皆、並んで写っているのに、わに夫婦だけバラバラww


そこのけ、そこのけ、お馬が通る


ホストのミラー一家。「ばか」T-シャツがエリックさん


今夜のメニューは、ワシントン州の鮭のBBQ!
  1. 2010/08/08(日) 08:12:13|
  2. 旅行
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  4. | コメント:2
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コメント

442

サン・ペドロで上映会があったときに是非行きたいと思っていたのに逃してしまったのですが、絶対に見たいと思っています。
カメラとDVDのセットなんてあるのですね。それは興味津々ですが、ともあれDVDを見てみます。

ご年配の方と話していると、ふいにマンザナーやレイク・タホなどにいたことがあると聞かされて驚くことがあります。
日系人博物館で知ったことですが、ジョージ・タケイ氏も、そうですね。
442部隊に所属していた方の談話を、フリーペーパーで読んだことがありますが、あのペーパー取っておけばよかったと少し後悔です。
  1. 2010/08/18(水) 21:43:16 |
  2. URL |
  3. わに #-
  4. [ 編集]

442

2週間近く前になりますが、鈴木じゅんいち監督のドキュメンタリー映画、”442”を見てきました。 この映画は収容所から志願した日系アメリカ人の軍隊の話でして、途中でジョージタケイが言うようにこの人たちのおかげで "こんな姿でも (アジア系ということ) アメリカ国民として今生きていけるんだ" というのが基本的な内容でした。 こちらに来たばかりの時にマンズナーなどにいた事のある2世の方たちと話をする機会はありましたがこの日系人部隊の活躍と犠牲は映画でみるまではもちろん知るはずもなく、想像もつかないようなものでした。 実はたまたま去年フランスで滞在した先が、なんとこの人たちが、戦った場所であったと映画で知って、運命的なものを感じてしまい、その場でつい両親にお土産用と "Toyo's Camera" と "442" のセットのDVD を買ってしまった単純な私であります。 というわけで、わにさんのブログにコメントというよりも、映画DVDのお薦めというわけの分からん内容になりました。
  1. 2010/08/17(火) 15:08:24 |
  2. URL |
  3. Honda #fIoVb3AI
  4. [ 編集]

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